西島木材について
代表メッセージ
Top Message
心と笑顔で健康快適な暮らしづくりを
1948年(昭和23年)に旧金津町に創業した西島木材は、昭和、平成、そして令和へと、地域の皆様やお客様に支えられ成長してまいりました。
創業当時から引き継がれた「誠実は信用のもと」を大切に、どんな時代でも”良い住まい”を提供して、豊かな地域社会に貢献していきたいと考えています。
地域から信用され、地域から求められる企業”を経営理念とし、顧客満足の追求を継続的に行い”心と笑顔で健康快適な暮らしづくり”をポリシーに社員一同新しい時代を突き進んでいきたいと思います。
Create a healthy and comfortable life with heart and smile
結婚と同時に家業の西島木材に入社して、約30年が経ちました。
その間、3人の息子の子育てや四世代同居の中での家事との両立で、本当にめまぐるしい日々で記憶がないほどです(笑)
現在、リフォームの提案をさせていただくうえで、この30年間の経験はとても役に立っております。これが私の建築においての最大の強みかもしれません。
昔から「会社は三代目で潰す」という嫌なジンクスがいわれています。
夫は三代目で事業承継した当時は、多額の借金でいつ潰れてもおかしくなかった状態でした。今思えば、それが逆によかったのかもしれません。暇さえあれば経営の本を読みあさり、車の中では経営のCDを聞きまくっていました。それは、25年経った今も続けております。
おかげさまで、来年には創業75周年を迎えます。
ありきたりな言い方ですが、やっぱり周りの協力のおかげだと思います。
家族をはじめスタッフや協力業者様、仕入先様、お客様…。どの一人が欠けても、会社は存続していなかったと思っています。
私の大好きな言葉、それは「進化」です。
会社も人生も進化し続けるよう、今後も精進してまいります。
1.自らすすんで取り組み、互いに協力しあえる会社
2.お客様に「ありがとう」と言ってもらえる会社
3.私たちは、時を守り、場を清め、礼を正します。
・努力は発展のもと
・反省は向上のもと
・健康は幸福のもと
・誠実は信用のもと
会社概要
商 号
西島木材株式会社
代 表
代表取締役 西島 和之
事務所登録
西島和之一級建築士事務所
所在地
〒919-0621 福井県あわら市市姫5丁目6-33
電 話
0776-73-0150
FAX
0776-73-0285
事業内容
【木材部】一般建築木材、製材販売、木材加工品一式
【建材部】新建材、銘木販売、住設機器販売
【リフォーム部】住宅リフォーム、新築工事
【古材倉庫】全国古材流通ネットワーク加盟
メール
yukie@nishijima-wood.co.jp
資格登録
建築工事業福井知事登録 許可(般-24)第3504号
福井県木材業者登録 福木連 坂井第13号
一級建築士 第245797号
本社
古材倉庫/第二加工場
沿 革
昭和23年12月
会社設立 西島多吉社長就任
38年 4月
建材部事業開始
43年 9月
西島甫社長就任
西島巌専務就任
47年 9月
製材部工場移転(榛の木原)
52年10月
サッシ部事業開始
六日区本社倉庫建設 建材部移転
54年 9月
サッシ部 (株)レイホク三協設立で西島巌が代表取締役就任
新用倉庫建設
平成 3年 4月
西島和之専務就任
6年 8月
宮谷加工場建設
8年 2月
資本金1,000万円に増資
12年 5月
西島和之一級建築士事務所開設
13年 3月
西島甫会長就任
西島和之社長就任
13年 4月
本社移転
福井県あわら市市姫5丁目6-33
13年9月
リフォームハンズにしじま設立
19年 4月
【古材倉庫】全国古材流通ネットワーク加盟
19年11月
タカラスタンダードパートナーショップ加盟
21年6月
TOTOリモデルクラブ加盟
00年0月
一般社団法人 古民家再生協会に入会
西島木材物語
三代目女房 西島由紀恵著
昭和23年(1948年)、福井地震が発生。あわら市(旧金津町)は震源地に近く、家々が倒壊し、道らしき道がなかったと聞いています。家屋を直そうにも材木が手に入らない。そうした混乱のなか、初代の西島多吉(主人の祖父)はありったけのお金を持って、青森・秋田に材木の買い付けに出かけました。なぜ、青森・秋田だったのか?叔父曰く、『福井大橋をはじめ、橋という橋はすべて倒壊して南下できなかったから』だと。福井地震の被害の大きさが想像できます。
困っている人たちを助けたい、その一心だったのでしょう。金津駅(現芦原温泉駅)に材木が到着すると、その場ですぐに売れてなくなったそうです。たぶん、西島多吉は利益を度外視で売っていたのだと思います。こうして、『西島木材』は誕生しました。
私が嫁いできたのは、平成4年3月。そのときにはすでに、西島多吉は他界しており、遺影でしか見たことがありません。多吉のことは、誰に聞いても「怖かった」「厳しかった」という答えしか返ってきません。主人も子供の頃、よくたたかれたと言ってました。今の時代なら、虐待といわれるのかもしれないですね。でも、ただ厳しく、怖かったわけではなく、裏を返せば、仕事に対して、ド真剣だったのだと私は思います。
写真の左から2番目が初代の西島多吉、真ん中が二代目の西島甫です。主人の父である二代目の西島甫は、非常に温厚な人でした。私が主人と結婚を決めたのは、何を隠そう、義父西島甫を尊敬できたからでした。この人の息子なら間違いないと思ったからなのです。知人に頼まれると、障害や病気をかかえた人、シングルマザーなど世の中の弱者といわれる人たちも雇用していました。また、どんなに会社が厳しい状態でも
社員の雇用だけは絶対守るという義父でした。そんな義父でしたから、人望も厚く、福井県木材市売協同組合 理事長、福井県プレカット協業組合 理事長、ロータリークラブ 会長と数多くの要職を担っていました。仕事以外でも「保護司」として道を誤った若者たちを更正することにも力を注いでいました。
主人が三代目として跡を継いでからは、建築も手がけるようになりました。主人は福井県立高志高校、福井大学建築学科を経て、大手ゼネコンに就職しました。ゼネコン時代は主に広島を拠点に病院や学校、ホテルなどの大規模建造物を建設していたそうです。
ちょうど仕事がおもしろくなったころ、平成元年、主人の姉が享年31歳という若さでこの世を去りました。義父母は、最愛の娘を失ったショックと、それまでの看病の疲れからか息子に『福井に帰ってきてほしい』と懇願したのです。福井に戻って一年後、私と出会いました。福井大学の先輩のご紹介で出会ったのですが、不思議とお互いに、
初対面とは思えない感覚がありました。主人は、幼いころから自宅裏の原木置場を遊び場として育ったので、木に対する愛情はハンパないですね。また、出かけた時などはレストランだろうが旅館だろうが、周りの目を気にせず、建築仕様の確認をすぐにしたがります。
家づくりでもっとも大切な部分は構造材です。いわゆる骨組みのとこですね。ほとんどの方が「木造住宅」を建てますが、木のことを勉強される方はいらっしゃいません。そこで、平成25年より「木のソムリエツアー」「木の住まい教室」を一年を通して開催するようになりました。私たち自身も木のことを勉強するうち、日本の林業の現実にも興味を持つようになりました。「新月伐採」「葉がらし乾燥」「自然乾燥」といった古来からの林業にも目を向けるようになったのです。「川上から川下まで・・・」つまり伐採から乾燥、製材、建築までを目指して、ただいま頑張っております。
そんな父の後ろ姿を見て育ったせいでしょうか。昨年春より長男も西島木材の一員として働き始めました。「古民家鑑定士」としても先輩方とともに古民家再生の勉強もしています。また要望があると、学校にも出向き、“木の良さ”を伝えています。創業者西島多吉、二代目西島甫の「木を愛し、人を大切にする経営」をこれからも守り、且つ、三代目の私たちにしかできない希望と夢の経営を貫いていきたいと思っております。