西島木材物語

西島木材物語 (三代目女房 西島由紀恵著)

昭和23年(1948年)、福井地震が発生。
あわら市(旧金津町)は震源地に近く、家々が倒壊し、
道らしき道がなかったと聞いています。
家屋を直そうにも材木が手に入らない。
そうした混乱のなか、初代の西島多吉(主人の祖父)は
ありったけのお金を持って、
青森・秋田に材木の買い付けに出かけました。
なぜ、青森・秋田だったのか?
叔父曰く、『福井大橋をはじめ、橋という橋はすべて倒壊して
南下できなかったから』だと。
福井地震の被害の大きさが想像できます。

Fukui Earthquake 1948 - damaged building

困っている人たちを助けたい、その一心だったのでしょう。
金津駅(現芦原温泉駅)に材木が到着すると、
その場ですぐに売れてなくなったそうです。
たぶん、西島多吉は利益を度外視で売っていたのだと思います。

こうして、『西島木材』は誕生しました。

私が嫁いできたのは、平成4年3月。
そのときにはすでに、西島多吉は他界しており、
遺影でしか見たことがありません。
多吉のことは、誰に聞いても「怖かった」「厳しかった」
という答えしか返ってきません。
主人も子供の頃、よくたたかれたと言ってました。
今の時代なら、虐待といわれるのかもしれないですね。
でも、ただ厳しく、怖かったわけではなく、
裏を返せば、仕事に対して、ド真剣だったのだと私は思います。

西島木材物語

           (左から2番目が初代の西島多吉、真ん中が二代目の西島甫です。)

 

主人の父である二代目の西島甫は、非常に温厚な人でした。
私が主人と結婚を決めたのは、
何を隠そう、義父西島甫を尊敬できたからでした。
この人の息子なら間違いないと思ったからなのです。

知人に頼まれると、障害や病気をかかえた人、シングルマザーなど
世の中の弱者といわれる人たちも雇用していました。
また、どんなに会社が厳しい状態でも
社員の雇用だけは絶対守るという義父でした。

そんな義父でしたから、人望も厚く、福井県木材市売協同組合 理事長、
福井県プレカット協業組合 理事長、ロータリークラブ 会長と
数多くの要職を担っていました。
仕事以外でも「保護司」として道を誤った若者たちを
更正することにも力を注いでいました。

主人が三代目として跡を継いでからは、建築も手がけるようになりました。

主人は福井県立高志高校、福井大学建築学科を経て、
大手ゼネコンに就職しました。
ゼネコン時代は主に広島を拠点に病院や学校、ホテルなどの
大規模建造物を建設していたそうです。

ちょうど仕事がおもしろくなったころ、平成元年、
主人の姉が享年31歳という若さでこの世を去りました。
義父母は、最愛の娘を失ったショックと、それまでの看病の疲れからか
息子に『福井に帰ってきてほしい』と懇願したのです。

福井に戻って一年後、私と出会いました。
福井大学の先輩のご紹介で出会ったのですが、
不思議とお互いに、
初対面とは思えない感覚がありました。

主人は、幼いころから自宅裏の原木置場を遊び場として育ったので、
木に対する愛情はハンパないですね。
また、出かけた時などはレストランだろうが旅館だろうが、
周りの目を気にせず、建築仕様の確認をすぐにしたがります。

教室の風景

ところで、家づくりでもっとも大切な部分は構造材です。
いわゆる骨組みのとこですね。
ほとんどの方が「木造住宅」を建てますが、
木のことを勉強される方はいらっしゃいません。

そこで、平成25年より「木のソムリエツアー」「木の住まい教室」を
一年を通して開催するようになりました。

私たち自身も木のことを勉強するうち、日本の林業の現実にも
興味を持つようになりました。
「新月伐採」
「葉がらし乾燥」
「自然乾燥」
といった古来からの林業にも目を向けるようになったのです。

「川上から川下まで・・・」つまり伐採から乾燥、製材、建築までを目指して、
ただいま頑張っております。

木に対する愛情

そんな父の後ろ姿を見て育ったせいでしょうか。
昨年春より長男も西島木材の一員として働き始めました。
「古民家鑑定士」としても先輩方とともに古民家再生の勉強もしています。
また要望があると、学校にも出向き、“木の良さ”を伝えています。

創業者西島多吉、二代目西島甫の
「木を愛し、人を大切にする経営」をこれからも守り、
且つ、三代目の私たちにしかできない希望と夢の経営を
貫いていきたいと思っております。

学校で木の良さを伝える